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12件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1954-12-05 第20回国会 参議院 予算委員会 第3号

昔の財政法にはあつた、慣例としてあつた。ところが今度の財政法二十九条の二項というのは、なぜ設けたか、この点十分考えて頂きたい。これは重大な私は財政法違反ですよ。憲法第八十三条の違反ですよ。今度の節約というのは、地方財政にも亙り、実に広汎な節約であつて、単なる物価値下りだけじやないのです。我々に出して来た資料を御覧なさい。

木村禧八郎

1954-03-22 第19回国会 衆議院 外務委員会 第22号

そこでこの通報国際水路協定に従つた慣例によりまして、これも米国の多分水路部告示だろうと思いますが、その水路部告示国際水路会議決定事項に基きまして、先日申し上げましたブユレタンに載せまして、そうして日本の海上保安庁の水路部通報があつたのでございます。ですから政府から政府への通報ではございませんで、国際水路協定に基く各国の水路担当官の経路を経た通報でございます。

下田武三

1954-02-16 第19回国会 衆議院 議院運営委員会 第12号

それで、これを本日やることもよかろうと思うのですが、形式としては一応国会対策委員長会議に——今後国会対策委員長会議にかける必要はない、当然この委員会でやるのだから、従来とつた慣例をやめるという立場に立てば、その方法でもよかろうと思いますが、それは今後の取扱いとして、一応国会対策委員長会議緊急質問として取扱うか取扱わないかをきめておられた。

菅家喜六

1950-04-28 第7回国会 参議院 地方行政委員会 第41号

従来例えば他の委員会に付託された法案にいたしましても、随時地方行政委員会においては政府当局出席を求めて、質疑をしておつた慣例なりがあるのでありますが、若し許されるならば、平衡交付金政府の者を、適当の時に呼んで、そうしてその委員会おいて、審議をして貰うというような方法がとれないものであろうか。そうすれば地方合成委員会といては、それに関係なく地方税審議を進めることができる。

鈴木直人

1950-04-25 第7回国会 参議院 地方行政委員会 第38号

鈴木直人君 これに関しては、四百四十五條と関連をするのですけれども、こういう徴收方法、即ち四月一日に一斉に自転車を調べて、市町村役場において調べるということにして、そうして沢山の人を使つてやるということになると、相当経費もかかると思うのですが、今まで相当やつてつた慣例によりますというと、自転車を自分が入手したという場合には、それは御苦労であるけれども一応役場行つて、そうして二百円納めてそうしてその

鈴木直人

1950-03-26 第7回国会 参議院 予算委員打合会 第1号

これは理事会はとうから慣例でやつておりまして、あなたの方の人の御質問のときも定足数に足らなくともそのままやつてつた、慣例は沢山あるのであります。今日あなたが、昨日おいでにならずにそういう御発言をなさるということは、今までの慣例を無視したお言葉だと思いまするが、(「その通り」と呼ぶ者あり)或いは法制上あなたがそうおつしやればさようになるかと思います。これは委員各位に諮つて見ます。

山田佐一

1949-11-30 第6回国会 参議院 議院運営委員会 第17号

門屋盛一君 進行のことですけれども、見解をはつきりして置かんと、今事務総長見解は、そうすると国務大臣をここへ呼ぶのに一々委員会の決議でやるという関係法規に従つた慣例にして行きますか、今までの場合は一議員から出席要求をした場合に、反対の声がなければそれで出席、して貰つてつたんです。

門屋盛一

1949-04-18 第5回国会 衆議院 議院運営委員会 第21号

○石田(博)委員 本來なら運営委員会でそこまで行くのは越権でおつて、われわれはやるべきでないと思うが、従來の懲罰事犯取扱いにおいてもここで扱つた慣例もあるし、最近では久保田鶴松君の場合も、本人の意向を聞いてみようじやないかということで行つておるから、全然聞かないというのも急に取扱いをかえたことになりはせんかと思うし、ここで懇談会形式で、本人の意図二、三点について、一体本人はささいな間違いだと思つておるかどうかということを

石田博英

1948-04-28 第2回国会 衆議院 予算委員会 第18号

労働爭議中給與支拂の問題につきましては、私どもは戰爭以前の日本労働運動の状態においては、たいてい、これが爭議中給與賃金という形ではありませんけれども、その爭議中給與賃金に該当する概算的なものが、爭議費用という形式において爭議中労働者諸君に支拂われておつた慣例をもておるのであります。そういう点から、そういうことも進歩発達した外國労働運動の歴史にはありませんでした。

加藤勘十

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